思いがけず子供の自我状態を経験するも‥@心理療法の光と影:夢分析
夢の内容:
SMAPの中居くんが、ちり紙交換よろしく、メガホン片手に町を練り歩いている。どうやら中居くんは戦隊モノの隊長のようだ。そこへ偽物の集団がさっそうと登場(片手を腰に当て、全員で決めのポーズ。見事な連携)。 中居くん(うわずった声で)「あなた方は誰ですか?」 顔をビニールのマントで隠し「それは言えない。」 敵が現れる。偽物の方が大活躍! 実は本物より強かったのだ。公共施設の中。お茶する場所を探している。休憩用のスペース(椅子)が雅びなカフェとして利用されている(石に植物が生けられている)。席が一つ空いているが、そこにする気にならず外へ出る。
避暑地を歩いている。いい天気だ。ひとり遅れた女性の体が徐々に溶けていく。
「きゃー、助けて、○○さん!」
名前を呼ばれた友人(女性)が見捨てるように置き去りにしていく。
雑誌で紹介されていた、豪華ホテルに隣接するリゾート施設へ3人で行ってみる(東急○○)。入り口までのエントランスにゴミが散乱している。仕方ないのかな、と思う。
中に入ってみる。脇にあるケースの中の道具が埃をかぶっている。玄関付近の床を業者がモップがけしている。「床掃除はすぐにできるからね。」
取引先のK氏から「試しに利用してみようか」という話が出るが、ボクは気乗りしない。
夢分析:
まずは、お決まりの自由連想法
今回は、(何を血迷ったか)夢の中のシンボルすべてについて、連想を膨らませてみます。長くてスミマセン。中居くん→調子がいい(金スマのイメージ)、一方で闇の一面(役者のイメージ)、目が笑ってない。
ちり紙交換→うるさい、トークとムスッとした運転手との温度差(二面性)。
メガホン→アピール、自己中、有頂天、自己陶酔、ひとりで舞い上がってる、水平より上、自我肥大。
戦隊モノ→中居くん以外はまったく目立たない(顔が出て来ない)。
隊長→ミスキャスティング、茶番、パフォーマー、かいらい。
偽物→贋作、人まね、価値がない。
決めのポーズ→得意げ、ポジティブ、美しさ→両面的
見事な連携→集団プレイの美しさ。
うわずった声→緊張、ひがみ、嫉妬。
「あなたは誰ですか?」→何だお前は? 不安、劣等感コンプレックス、手掛りを得て安心(不安を解消)したい。
敵→弱すぎる、影が薄い、気配がない。
偽物の方が強かった→見た目(レッテル)は当てにならない。
公共施設→応用が利かない、杓子定規、窮屈。
お茶する場所→いつものパターン、行かないと気が済まない。
休憩スペース→そんな所でリラックスできない。
雅びなカフェ→アンバランス。
植物の生けられた石→お墓、弔い、健気、ささやか。
空いているが座る気にならず、外へ出る→何となく、理由などない、面倒くさい。
避暑地→縁がない。
いい天気→古いフィルムの中の世界。
ひとり遅れた女性→「サル」と呼ばれてた女性とのぎこちない会話、こっそり自分の本を机から抜き出そうとして「キャー」と叫ばれた。
体が溶ける→ケロイド、魔女、足を切断する空想。
友人に助けを求める→?
見捨てる友人→(シンボルの詳細を思い浮かべて)黒い服に黒い髪、知的できれいな人→昨日の女性
雑誌で紹介のホテル→(シンボルの詳細を思い浮かべて)白と黒のコントラスト、大阪の廃墟同然のアパート、洋風。
隣接のリゾート施設→そこも豪華に違いない。
エントランスのゴミ→手入れが行き届かない、そこまで手が回らない。
ケースの中の埃をかぶった道具→使われていない、過去の遺物、時代遅れ。
玄関を業者がモップがけ→見た目を取り繕う(装う)、ごまかす→こっそり印鑑。
「床掃除はすぐにできるからね」→学中の時、廊下の床にスープの残りを大量にぶちまけてしまい、クラス全員で手伝ってくれたこと→受け入れられている
自我状態が変化
最後の部分が2日前の夢の少女と結びつき、このあとの連想に影響を与え、(感情の)トーンが変化している。→これは後述する、交流分析における「子供の自我」の影響と思われます。「試しに利用してみようか?」→お試し、興味津々、試してみるだけなんだから、もっと気楽に!
乗り気がしない→?
夢の自我への洞察
ここで、夢の中の自我(自分)に対する洞察が生まれる。 「夢の中の自我が普段の自我に似ているのは、共感(感情移入)しやすくするためであり、日常の自我は、夢の中の自我を通して無意識との距離(隔たり)を縮めているのではないか?」 「よって夢の自我は、(主として個人的)無意識への水先案内人の役目を果たしているのではないか?」改めて、子供の自我状態で自由連想法
こんどは、今までの連想をもう一度振り返ってみたくなりました。たびたび長くてスミマセン。中居くん→大目に見てやろうよ、可愛いじゃない。
ちり紙交換→風物詩、生活の実感。
メガホン→応援。
戦隊モノ→かっこいい!
隊長→ヒーロー
偽物→安い!
決めのポーズ→ヒーロー
見事な連携→興奮、歓喜。
うわずった声→くすぐったい笑い。
「あなたは誰ですか?」→名前なんて言うの? 一緒に遊ぼうよ。
敵→遊び。
偽物の方が強かった→肩透かし。
公共施設→田舎の公民館、お披露目、鼻高々。
お茶する場所→(高校の頃の)ステイタス。
休憩スペース→疲れた~。
雅びなカフェ→お上品。
植物の生けられた石→手を合わす格好良さ。
空いているが座る気にならず、外へ出る→外の方が気持ちいい。
避暑地→お出かけ。
いい天気→気持ちいい!
ひとり遅れた女性→一緒に歩こうよ。
体が溶ける→お化けごっこ。
友人に助けを求める→頼むよ~。
見捨てる友人→ごめんね、意地悪して。
雑誌で紹介のホテル→行ってみたい。
隣接のリゾート施設→楽しみだねぇ。
エントランスのゴミ→片付けよ~。
ケースの中の埃をかぶった道具→宝物。
玄関を業者がモップがけ→キレイキレイしましょ。
「床掃除はすぐにできるからね」→みんなでやればすぐ終わる。
「試しに利用してみようか?」→ワクワク。
乗り気がしない→疲れた、ひと休み。
同じシンボルからの同一人物の連想とはとても思えません。最初の連想が「思索的」「観念的」「否定的」ニュアンスが強いのに対して、あとの連想は「感情的」「実にシンプル!」ときには「独創的」ですらあります。
交流分析の理論で分析
これを交流分析の理論で分析すると、前者は「成人の自我状態(=フロイトの言う「自我」に近い)」ないしは「親の自我状態(=フロイトの「超自我」)に近い」、後者は「子供の自我状態(=フロイトの「イド」に近い)」の作用によるもの、となります。 3つの自我はそれぞれに大切な働きを持っており、どれか一つを欠いても心のバランスが崩れてしまいます。たとえば、「成人の自我状態」を欠くと、合理的な判断や行動ができなくなり、このウェブログを書くことすらできないでしょう。「親の自我状態」を欠けば、こんどはルールを無視した自己中になってしまいます。「子供の自我状態」を失えば、毎日を楽しむことすらままならず、創造性とは無縁の味気ない人生が待っていることでしょう。私個人の例に当てはめると、普段(つまり前者)の私は、どうもあまり「子供の自我状態」を体験していないようです。それがたまたま夢分析を通してスポットライトが当てられ、溢れ出したのです。
サイコシンセシスの考え
もし私が(普段は劣等な)「子供の自我状態」をもっと増やしたいと思ったら「サイコシンセシス」の考え方が役立ちます。 サイコシンセシスでは、心を「一定量のエネルギー」と考えます。したがって、心のある面にエネルギーが注がれれば、そうでない部分はエネルギーを失い、相対的に小さくなっていくわけです(セラピストの江夏亮氏も同様のことをおっしゃってます)。 ずいぶん前ですが、サイコシンセシスのセラピストの国谷誠朗さんがテレビで、怒りが抑えられないクライアントに対して 「(心理療法の場で)怒りを表現して発散させる暇があったら、ぬいぐるみを優しく抱きしめてあげて下さい。」と、おっしゃってました。 けだし名言です。サイコシンセシスと行動療法の類似点
また、この考え方はどこか『行動療法』に似ている気がします。怒りの原因を究明するのではなく、それ以外の感情に徐々に心を慣らしていくわけです。 人間性を重んじるサイコシンセシスが、その対極に位置する行動療法と、根っこの所で繋がっているというのは妙なものです。今日、私は忘れかけていた「子供の自我状態」に触れることができました。そして、そのことを伝えるために「成人の自我状態」にいます。
最後まで読んでくれて、ありがとう。
関連書籍
TA TODAY―最新・交流分析入門サイコシンセシス―統合的な人間観と実践のマニュアル サイコシンセシス叢書4/ロベルト アサジョーリ著
自信を持てないあなたへ―自分でできる認知行動療法/メラニー フェネル著